内村 航平選手 [選手紹介]

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福岡県北九州市生まれ。
自身が3歳の時諫早市に移住。生まれたのは元号がまだ"昭和"で、誕生4日後に"平成"に改元したことにあやかり、「平成の時代を真直ぐ渡れるように」という願いを込めて、"航平"と命名された。

父・和久は日体大体操競技部出身で柳川高等学校時代に高校総体の種目別で優勝しており、母・周子も元体操選手、妹の春日(はるひ)も体操選手という体操一家である。1992年(平成4年)に両親が『スポーツクラブ内村』を開設したのを機に、3歳で体操を始めた。

両親の反対を押し切り、諫早市立諫早中学校卒業と同時に、塚原直也に憧れて上京し、朝日生命体操クラブに入門した。東洋高等学校を経て、日本体育大学体育学部体育学科に入学。大学では体操競技部に所属し、4年時には主将を務めた。

2007年(平成19年)ユニバーシアード団体優勝とともに種目別ゆかで優勝。2008年(平成20年)、初めてのオリンピック代表選考レースである二次予選では、二日間ともに冨田洋之を抑えてトップに立ち予選通過。最終予選のNHK杯体操選手権では優勝こそ冨田に譲ったが2位に入り、北京オリンピックの出場権を獲得した。

オリンピック本大会では、団体戦メンバーとして19歳で最年少ながら安定した堂々とした演技を披露、男子体操団体で日本の銀メダル獲得に貢献すると、その2日後の男子体操個人総合決勝では、苦手とするあん馬で2度の落下がありながらも他種目で23人を抜き、最終的には2位となって銀メダルを獲得した。尚、個人総合では北京五輪代表監督である具志堅幸司以来24年ぶりのメダル獲得であると同時に、日本体操界では10代での個人総合のメダル獲得は史上初であった。

冨田洋之の引退後は、日本のエースと目されるようになる。2009年世界体操競技選手権(ロンドン)では、ついに個人総合優勝を達成。20歳での獲得は日本勢史上最年少であった。2010年世界体操競技選手権(ロッテルダム)でも圧勝し、日本人初となる個人総合2連覇を達成した。


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